絵画・版画、稀少
ユトリロ版画、Mourice UTRILLO
ホームユトリロMourice UTRILLOユトリロ、「シャンゼリゼ通り」1955年、リトグラフ
商品詳細

ユトリロ、「シャンゼリゼ通り」1955年、リトグラフ

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   通常、百貨店等での販売価格は30〜40万円ですΣ(゜д゜lll)
     もちろん、格安にてご紹介させていただきますのでご興味のおありの方はお問い合わせくださいませ!


♦♫♦・*:.色彩の時代(1920-1955年)の作品です。

 明るく軽やかな感じですが、やはりユトリロの手にかかるとなんともない風景と色彩が独特の雰囲気を醸し出します、なんともないようで、深みと叙情を感じます!




◆題名:シャンゼリゼ通り L'Arc de Triomphe et les Champs-Elysees
◆版元(発行者):Joseph Foret、1955
◆技法:リトグラフ
◆資料・文献:Cette litographie fait partie de la serie des litographiess reunies le dernier ouvrage edite par Utrillo qui deceda peu apres sa publication
◆限定部数:197
◆ペーパー:ヴェランアルシュペーパー
◆サイン:版上
◆工房:ムルローAtelier Mourlot
◆サイズ:42x33cm、画面32x23,5cm







Mourice UTRILLO
(1883〜1955)

1883年 12月 モンマルトル丘の巓に位置する、パリ18区ポトー通りで、シュザンヌ・ヴァラドンの私生児として生まれる。

 母、シュザンヌはこの頃、針子をしながら画家として活動していたため、息子の世話を祖母マドレーヌに託す。

  ユトリロのアルコール依存はこのマドレーヌの影響も一因と言われている。
マドレーヌ自身もアルコールに目がなく、精神安定剤として孫に酒を飲ませていた。

 身体が弱く精神不安定のユトリロは、2歳の頃てんかんの発作に見舞われ、その後も後遺症が残った。

1891年1月、ユトリロ7歳の時、1889年パリ万博の際、母、シュザンヌの恋人であったカタルーニャ人のジャーナリストミゲル・ウトリリョ・イ・モラン(仏語でユトリロ)との仲を修復して、ユトリロを息子として認知した。
  しかし、ユトリロは生涯この法律上での父親と会うことはなかった.......

1896年 母、シュザンヌとポール・ムジスが結婚
ムジスの財力で生活も安定、モランという寄宿舎のある小学校に入学、オーベルヴィリエで初等教育の修了証書を得た。その後コレージュ・ロランの最高学年で問題を多々起こして退学に至った。

1900年 ムジスのコネで外交官の職を得るが4ヶ月で退職、その後も色んな職につくが、気難しさと激情、アルコール依存の影響で暴力が増え、失職どころか引越しをせざるをえなくなり、1901年サルセルに転居。

1902年 モンマルトルの丘にあるコルトー2番街に住み、この頃から水彩画の練習を始めた。しかし、アルコール依存性はひどく、精神は蝕まれていった.....

1904-08年 モンマニー時代
1904年 ムジスに連れられパリのサンタ=タンヌ精神病院に入院させられる。
5月には退院、モンマニー周辺のモンマルトルで絵を描き始め、進路を絵画に定める。
(この頃の作品『モンマニー風景』リヨン美術館所蔵 と『屋根』国立近代美術館所蔵)

1909年 サロン・ドートンヌに2点出品する。(うち1点は代表作『ノートル橋』)
         ルイ・イボートが最初の買い手なり、翌年にイボートはユトリロの画商となる。

1910-14年 白の時代
1911年酒場の経営者で飲食店を所有する、元警察官のセザール・ゲイと知り合う。ユトリロは飲食のを許されるだけでなく、完成した「絵」をカフェのホールに掛けてもらえることになった....
 たちまち話題になり、モンマルトル一帯に認知されるに長い時間は必要としなかった。
1912年ドリュエ画廊に6点の作品を展示。
           4月末から5月初めにかけてユトリロの健康状態が悪化、入院、数ヶ月後に回復退院......
「 白の時代」にユトリロは数百点に及ぶ作品を残している。


  1920-55年 色彩の時代

1921年 ギャルリー・ベルト・ヴェイユでの個展(モーリス・ユトリロ展)開催以来、数多くの画廊で絵が展示される。

1925年ユトリロはセルゲイ・ディアギレフのロシア・バレエダンのために舞台装飾をする。

1928年8月1日、レジオン・ドヌール勲章シュヴァリエ章と教育功労勲章を授与される。
1935年モーリス・ユトリロとリュシー・ヴァロールは結婚式する。

1937年ポール・ペトリデスがユトリロの作品を扱う画商になる。

1947年フランシス・カルコの「過ぎし日のモンマルトル」(モンマルトル・ベキュ)のために、22枚のカラーリトグラフ(石版画)を制作。

1955年アンドレ・モロワの「パリ・キャピタル」のために10枚のリトグラフ(石版画)を制作。
パリ市から金メダルを授与される。
テルトル広場で、サシャ・ギトリィ監督の映画『もしパリが私に物語っていたなら』に出演する。
モーリス・ユトリロは療養で訪れたダックスで死去。        

他の写真
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ユトリロ、「シャンゼリゼ通り」1955年、リトグラフ

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