絵画・版画、稀少
Paul Klee パウル・クレー
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商品詳細

パウル・クレー Paul Klee 「Two men meet,each believing」 1947年作リトグラフ

販売価格: 3,700円(税込)
数量:
★今回はシートのみの販売になります


額装写真は参考画像としてご覧ください


作家:Paul KLEE パウル・クレー(1899〜1940)

題名:「Two men meet, each believing  」  原画製作年:1903年

限定部数:2000部、  サイズ:ペーパー30.3x22.8 cm  画面:11x19cm
額の外寸:37,8x47cm
技法はリトグラフ(1947年制作)
✩紙が真っ白に映ってる画像もありますが、実物の作品はもう少し経年による自然な色合い、退色がかってます!

✩保証書・資料としてテキストのコピー36枚綴りを添付いたします

✩(ケースは除外品)

PAUL KLEE(1879〜1940)

スイスの首都ベルンでドイツ人音楽家の両親のもとに生まれる
小さい頃からヴァイオリンの才能を発揮し、11歳で市の管弦楽団の団員となるもクレー自身の興味は
文学や絵画へと向かっていき
 ピアノ教師の妻の主夫として家事・育児をこなすかたわら独自の表現を磨いていく。
1914年、画家の友人と北アフリカ・チュニジアを2週間旅行するが、これがきっかけ、転機となり、画風がより多才になっていく。

芸術は目に見えるものを再現する事ではなく、目に見えないものを見えるようにするものである

この世では私は理解されない、なぜなら私は未だ生を受けていないものや、死者たちの様な高次元の想像の魂の中に誰よりも近づいている存在だから…


パウル・クレー略歴

1879年12月18日、ベルン郊外のミュンヘンブッフゼーで生まれる。
1889年、ドイツのミュンヘンの美術学校に入学。
1906年、ピアニストのリリー・シュトゥムフと結婚。
1907年、息子のフェリックス誕生。
1916年、ドイツ軍に徴兵される。
1920年、ワイマールのバウハウスで教鞭をとる。
1931年、デュッセルドルフの美術アカデミーに移る。
1933年、ナチスに追われて祖国スイスに帰郷。
1940年6月29日、皮膚硬化症で死去。享年61歳。




☆1903(24歳)
7月、11葉のエッチングを連作《インヴェンツイオーン》に着手。この作品は1906年6月、ミュンヘン分離派展に出品され、画家クレーのデビュー作となる 9月からハンス・ブレシュが主宰する雑誌に音楽批評を寄稿する。著名な精神科医になる親友フリッツ・ロートマルとも親しく往来。この2人はともに幼馴染で 演奏仲間。

 

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パウル・クレー Paul Klee 「Two men meet,each believing」 1947年作リトグラフ

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