絵画・版画、稀少
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ホームビュッフェBernard BuffetBernard Buffet リトグラフII、1979-1986
商品詳細

Bernard Buffet リトグラフII、1979-1986

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技法:リトグラフ

リトグラフIIレゾネのカバー、表紙絵です

シートサイズ32、8x53cm







リトグラフII(1979〜1986年)レゾネ↓









BERNARD BUFFET 年譜

1928年 7月10日、パリに生まれる
1943年(15歳) ナチス・ドイツ占領下、ヴォージュ広場のパリ市夜間講座に通う。
国立美術学校の入学試験に合格し、12月からユージェーヌ・ナルボンヌ教室で学ぶ。
1945年(17歳) アトリエ作品賞受賞。母ブランシェ死去。《キリストの降下》(パリ国立近代美術館所蔵)などの本格的な作品を生み出す。
1946年(18歳) サロン・デ・モワン・ド・トランタン(30歳以下の人たちの展示会)に初めて《自画像》を出品。
1947年(19歳) アンデパンダン展(風景画と静物画の2点)とサロン・ドートンヌ(《肘をつく男》)に出品し、注目され始める。
カルチェ・ラタンの書店「アンプレッションダール(芸術の印象)」で最初の個展。
1948年(20歳) 6月、批評家賞を受賞(サン・プラシッド画廊、《ふたりの裸の男》)。以後、世界各地で個展が開催される。
ドライポイントを始める。
1950年(22歳) プロヴァンスに滞在し、小説家ジャン・ジオノや詩人ジャン・コクトーと親交を深める。
1951年(23歳) 代表作《キリストの受難》三部作を制作(このうちの2点は当館所蔵)。
1952年(24歳) リトグラフを始める。
1953年(25歳) 第2回日本国際美術展に《化粧する女》を出品(以後第6回展まで出品)。
1955年(27歳) 『コネッサンス・デ・ザール(芸術の知識)』誌が企画した「戦後の画家10傑」の1位に選ばれる。
1958年(30歳) アナベル(シュウォーブ・ド・リュール)と結婚。
1959年(31歳) 神奈川県立近代美術館で、日本最初のビュフェ展(デッサンと版画)が開催される。
1963年(35歳) 回顧展「ビュフェ展、その芸術の全貌」が東京の国立近代美術館と国立近代美術館京都分館で開催される。
1973年(45歳) 11月25日、静岡県長泉町にベルナール・ビュフェ美術館が創設される。
1974年(46歳) ヴァティカン法王庁美術館のアパルタメント・ボルジアに「現代宗教美術コレクション」の一部として《ピエタ》《受胎告知》などの大作6点が収められる。
1975年(47歳) フランス・アカデミー会員となる。
1980年(52歳) ベルナール・ビュフェ美術館の招待により初来日、関西方面を取材旅行する。
1988年(60歳) 12月9日、コレクションの増加に伴い、新館が増設される。
1991年(63歳) ロシアのエルミタージュ美術館とプーシキン美術館で大回顧展。
1993年(65歳) レジオン・ドヌール勲章のオフィシィエの称号を受ける。
1995年(67歳) 日本を縦断する大規模なビュフェ展が開催される。
1996年(68歳) 5月20日、ベルナール・ビュフェ美術館に版画館が増設される。
ビュフェ夫妻は落成祝賀に臨席。ビュフェの来館は7回目、これが最後の来館となる。
1999年(71歳) 10月4日、ボームの自宅にて逝去。
12月15日、ベルナール・ビュフェ美術館で、アナベル夫人が臨席し、ベルナール・ビュフェ追悼式を行う。
2000年 「死」展(モーリス・ガルニエ画廊)。8月〜2001年12月、全国6ヶ所を巡回する「ビュフェ追悼展」開催。
2005年 8月3日、アナベル夫人逝去。
2008年 「ベルナール・ビュフェ」展(フランクフルト、MMK)。
2009年 「ベルナール・ビュフェ没後10年」展(ベルナール・ビュフェ美術館)。

Bernard Buffet リトグラフII、1979-1986

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